本日は、今年初めての客演指揮者さまの合奏。
仕事をさっさと片付け、猛スピードで練習会場へ。
今日は見学者が3名もいらっしゃってた。
そのうちのお一人は、去年の定演にお客さんとしてご来場し、その楽しいステージに感動!(ほんとに?)
昔吹いてた頃の想いに火がつき、でも、ブランクがあったのでどうするか数ヶ月迷った末、思い切って見学に来ました!的な方がいらっしゃってた。
うちらの定演を見て…って言う人、これで一体何人目だろか。
ほんとうにありがたいコトであり、素晴らしいことだと思います。
定期演奏会の難しいトコロは、「自分達がやりたいこと」と「お客様が期待していること」のバランスをどう取るか?ってとこ。ここがまったくイコールになればいいんだろうけど、なかなかそうも行かないのが難しいトコロ。
毎年、この部分に思い悩むんだけど、よく言えば、それらがいい形で結実していた結果かな?と。
いずれにしろ、お客さんになにかが伝わったのは事実。
だからこれ、素晴らしいコトなんです。
今年は、入団以来初めて実行委員的立場を離れた。
一歩離れたトコロから見てると、今年はどちらかというと「自分達のやりたいこと」にかなり重点が置かれているように感じる。毎年、ウチの楽団になにかしらの「期待」を込めて来られるお客様にとって、それがどう受け取られるのかが、ちょっと心配。「変化」を伴う今回のケースは、かなり慎重に物事を進めていく必要があるからだ。
「期待」をいい意味で超えた時に「感動」が生まれる。
「期待」をある時点で下回った時「失望」に変わる。こうなるともう来てはくれない。
ウチらの定演を見て、「また楽器が吹きたい!」って思えるような、そんな「想い」が詰まった演奏会にしたいし、そんな楽団であって欲しいと思う、今日この頃。
それにしても、ほんと人が集まらないバンドだ。(言っちゃったよ)
…って言うか、「意識に大きな差がある」バンドだ。
こんな遅々とした歩みで、曲が完成するんだろか。
って言うか、ここでいう「完成」の定義に、すでに指揮者と団員、そして団員の中でも「差」があるので、なおさら難しいんだけど…。
ワタシが振る曲は、ワタシの中でのちょうどいい「妥協点」まで持っていければいいんだろうけど、その妥協点すら、
「あら…。もう少し下げないとダメ?ひょっとして…」みたいな連続では、指揮者はほんとに精神的に参ってしまう。
毎回毎回、同じ場所をはじめからするような合奏ではなく、団員の9割が合奏に参加し、確実に「進んだ!」と思えるような練習をすることで、「妥協点の低下」なんてもんは避けられると分かっているからこそ、歯がゆいのだ。
客演指揮者を呼ぶなら尚更。
定演後の宴会があるから、毎年来て頂いている様なもんだけど(?)、ワタシのような想いをさせたら、普通もう二度と来てはくれない。
そこら辺を、団員一人一人がもっと自覚することが必要。
練習に参加できないのはそれなりに理由があるから仕方がないので、出来るコトをして欲しいと思わず願ってしまう。
音源を聴きながら楽譜を追っていくだけでもいい。
一人でクルマを運転している時、ウィンカーに合わせてリズムの練習をしてみるのもいい。
(ワタシの場合、スティックがあったら音楽にしてしまう自信がある)
意識することで、出来るコトはいくらでもある。
団員が、市民バンドに求めるものは人それぞれかも知れない。
でも、お客さんがわざわざ足を運んでくれる「場」を創り出す側の人間として、最低限しなければならないコト(責任ともいう)があるのも事実であり、意識として持っていなければならないコトでもある。大人なんだから。
…と、ここでなんだかんだ言っても始まらない。
時間は待ってはくれない。
いつもここがスタートライン。指揮者として、ここからどう進めていくかがとっても大切だ。
音楽を基礎から学んだワケではないワタシとしては、人が集まるような合奏が出来るよう、精進するしかない。
「今年は出来がいいね~」と言ってくれた客演指揮者の言葉に、ちょっとだけ救われた…。